カテゴリ:ひとりごと( 21 )
7月のメモ
思い出せば、父のことがいよいよ心配になり出してから、
家で、映画をいろいろ観るようになった。
こんなときは、何かに夢中になったほうが、少しはいいだろうと、
意識的に思っていたのを思い出す。
父が旅立ってから、あまり食欲がなくなって、食べなくても平気だったが、
このごろ食欲が戻ってきた。
ぜんぜん吸わないのに、タバコを急に吸いたくなり、
わざわざ買いに行ったりもした。
一度寝て、夜中に起きることが多い。
日めくりは22日のまま。なんだかめくる気がしない。
絵は全然だ。描きたい気持ちは、自然とやってくるだろう。
今だよ、今なんだよ、という声が聞こえる。
何かが変わろうとしているのだろうか。
あの日の昼間は、映画バグダッドカフェのCalling youを聴いていた。
それは change is coming...と歌っていた。
家族や、自分の心持や、自分を取り巻いているものの
バランスが、変わってゆくのだろうか。
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by yucoon | 2007-07-08 12:22 | ひとりごと
6月のメモ
何か確実に良いもの。まあるい水晶玉のような、クリアな、美しい何か。
そんなものが、私の胸の中に、ぐぐっと入ってきて、しかるべきところに
収まったような気がした。
温かく、優しく、正しく、それは 私の中に収まった。

父の素晴らしさ、温かさ、忍耐強さ、多くの人に慕われたこと、
どんな人にも、わけ隔てなく、平らで、優しく接してきた父の人柄を、
葬儀に来てくれた人たちの 涙を見て、あらためて感じた。
多くのことが、胸に迫ってきた。
みんな泣いていた。
自分が知らなかった、父の姿が、泣いている人たちを通して、見えた。
私はそのことに、驚いてしまい、さらに涙が止まらなかった。

生きている上で、何が本当に大事なのかということが、わかったような気がする。
すべては思い出になってゆく。。。良い思い出に。
心に何かを残すこと。小さなことでもいい。それが大事。
人の心になにか、ひとつ、良いもののかけらを
残すことができたから、あれだけの人が、来てくれたんだろう。
本当に家族思いの父だった。でも、それだけではなかったんだ。
すごかった。尊敬しました。本当に・・・

悲しみや、寂しさや、後悔が、混ざり合って、暗闇に落ち込んでゆく暇もなく
感謝の気持ちと、尊敬の念が湧き上がってきて、
何かとても、素晴らしい というような思いがしていた。
こんな思いをするなんて・・・思ってもみないことだった。
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by yucoon | 2007-06-29 11:18 | ひとりごと
6月
父が入院し、毎日病院に通っている。
あまり いろいろ考えたくないので、何も書けないし、描けない。
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by yucoon | 2007-06-10 06:03 | ひとりごと
天使?
近頃は、すっかり野心もなくなり、焦らない、というのはいいが、
情熱も失われているんじゃないかと、疑ってみる。
んー、どうやら、情熱はまだ あるようだ。

いろいろ迷っていて、ひとり悶々としていた時、
「悪いようにはしないよ・・・」 と言う声が聞こえたことがある。
あれは、天使だったのかな???
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by yucoon | 2007-05-16 06:35 | ひとりごと
変なお天気。突然雷がやってきたり・・・
私の毎日は、どんなだろう・・・
焦りも、野心も なくなった。
南国のスコールみたいに、降ってくる雨。大粒の雨の音に、かき消される騒音。
雨は、木々の水遣りを終えたみたいにして、あっさり 去っていった。

私というのは、私という モノではなく、私という コトなのです。
どんなに、カチカチの物体でも、量子レベルでは、ひっきりなしに動いている、
モヤモヤした 運動 みたいなもので、断固とした形あるものではないという。
そういう 動きが集まって、ぎゅーっとなって、カチカチの物体みたいに、見えているのだ。
人間も、そうやってできている。
その 量子レベルで言う、モヤモヤした運動みたいなものは、
人間でいうと、魂のようなものなんじゃないだろうか?
そーすると やっぱり、体の中に、魂みたいのがあるんじゃなくて、モヤモヤの
魂的なものがまずあって、それが、ぎゅーっとなって、体が作られているんだと思う。
だから、私というのは、私という モノではなく、私という コトなのです。

野心はないが、夢はある。
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by yucoon | 2007-04-26 05:10 | ひとりごと
取捨選択
何も描けないでいる。
独りになって、じっくり考える時間があんまりない。。。いや、時間なら作れば、あるかも。
でも、気持ちが、あちこちに散らかっていて、ダメだ。
出かけることも多くなり、気持ちがずっと外向きになっている。
おかげで、社交的な日々。わが身を振り返る日々。こういう勉強の時なのか?
取捨選択が必要だ、というのはこういう時かもしれないな。
吸収したいことと、そうでないもの。
価値観と、経験で編んだ網で、ふるいにかけるのだ。
あやふやな価値観と、まだ浅い経験では、そんな網もスカスカかもしれないけど、
大事なことは大きいから、きっと、必ず残るだろう。
本当は大きいのに、一見小さくみえるものだから、惑わされそうになるのだけど。。。
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by yucoon | 2007-04-06 03:37 | ひとりごと
問いかけてみる
年末、年明けからいろんなことが起こった。悲しい出来事に続いて、身の回りもバタバタしていて、人と関わることが多くなり、さまざまな場面でいろんなことを考えされられた。
絵も文章も書けずに、ただ起こる出来事をかみしめて過ごしていた。
 身近な人とのやりとりでも、なんだかしっくりこないことがあると、そのたび「この出来事は私に何伝えようとしているのか?」ということを考える。これはもう私の癖のようになっていて、必ず自分に問いかけてみるのだけれど、答えがすぐに出る時と、いつまでたっても出ない時がある。それでも、少し自分から離れたところに立って、俯瞰で見るようなつもりになってみると、ぼんやりと次に向けてのいくつかの可能性が見えてくる。。。はっきりした答えじゃなくても、その可能性のうち一番いいものはどれかを見分けられれば、何をどうすればいいのかわかってくるのだった。
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by yucoon | 2007-01-31 13:46 | ひとりごと
時間という可能性
前にも、こんなことを考えていたが、この頃また、その感覚を思い出すようになってきた。
自分の周りを無数の輪のようなものが取り囲んでいて、それが無限なくらいに、果てしなくある、というイメージだ。私はそれは、「可能性」というものなんではないかと思っている。言葉で表すのは難しいが、それは「時間」のようでもある。いわゆる「時空」というのに一番近いかも。。。
終わりの方に向かって伸びてゆく、まっすぐな時間という定規の上を歩いて、10センチ向こうに、何か目標を設定して、それに向かって、1センチずつ手を伸ばしながら、歩いているという、いわゆる直線的時間というのとは、性質の違う時間感覚なのだ。時間は自分の前と後ろだけに伸びているのではなく、もっと丸くて輪のようで、長さというものでは測れないもの。自分から、前後、左右、上下、に果てしなく充満している可能性のような輪がいくつもあって、そのどれを選ぶのかを、意識的にか無意識的にか、常にその時その時で見つけていく。進歩ではなく、変化なのだ。1センチ進むのではなく、1ミリ角度を変える。そうすると、そこにはまた別の宇宙が開けるのだ。。。そんなイメージ。可能性の軌道の中から、ひとつひとつ選んでいくように。。。
きっとダメだろうなと思う時、その中のダメゾーンを選んだことになり、ダメな世界がそこに開けて、ダメな道を行くことになる。だからそれに気がついた時、すぐに軌道修正すればいい。何かを信じるというのは、無限にある可能性の中のどれを選ぶかということの、ガイドなのかもしれないと思う。
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by yucoon | 2006-09-02 14:33 | ひとりごと
ふつうで平凡
TVをつけていたら、映画が始まったので、そのままなんとなーく終わりまで観てしまった。
芸術家の母を持つ、娘の苦悩を描いた映画だった。
ホワイトオランダーというタイトルだった。
「あー私ってなんてまともなんだろう」って思った。
なんてノーマルなんだろう。 ノーマルって素晴らしいな。
保護者会にもちゃんと行くし、主婦業はちゃんとやっているつもりだ。
映画に出てくる芸術家でさえも、”生活”というのは必ずあるわけで、
何が、大事なのかを、考えさせられた気がする。
名声というのは、それほど大事なことではないんだなと思った。
芸術家ってアブノーマルな方が、ホンモノっぽい感じがするが、
私は、ノーマルな芸術家になりたいよ。
ノーマルでいるためには、けっこう意識的でいなければならない。
へんてこな自分の考えや、思いを表現するのは、作品の上でやればいいのです。
自分のアブノーマルな部分は、そこへ持っていけばいいんだし。
ふつうの生活、ふつうの人、”ふつう”とか”平凡”というのは、
それに気がついて、意識したときに、なんとも言えない、価値があるものだとわかる。
私の制作のベースは”ふつうで平凡”なのだ。
何が”ふつう”なのかは、人それぞれ違うんだけどね。。
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by yucoon | 2006-07-07 23:30 | ひとりごと
現象学的にも?
ちょうど去年の5月ごろに夢の中で「現象学だよ」というお告げみたいなヴィジョンをみてから何冊か現象学についての本を読んでみたけど、どれも難解で、どうにもよくわからなかった。
西洋哲学は用語がややこしい。シュタイナーのような神秘思想家の霊的なものの見方のほうが私にはしっくりくる。
それでもなんとか現象学の入門書を読み終えて感じたのは、結局そこでも同じような事を言っているのだなということだった。
物理学と仏教がなんだか同じようなことをいっているのと一緒で、たどりつく所は、どれもみな似ているのです。

現象学は主観と客観をテーマにして、いろいろいっているのだけれども、私の分かる範囲で言えば(この私の分かる範囲で(=主観)というのが大事なのだ)人間である限り、全ては主観であって、客観世界というのは誰も確かめることはできない。
みんなが自分以外のところにあると思っている客観世界というのはそれぞれの主観の共通項であって、あらかじめ客観世界が存在しているのではない。

だから自分には関係のない、確固たる客観世界があって、そこに自分がぽつんと存在しているのではなくて、見るもの触れるもの全部が、自分という基点から広がっていて、それが世界として現れている。
なぜ現れるのかはその自分という基点が何に関心を持っているか、何に向かっているのか(志向性)に由来する。ということなのだ。
たとえば、絵を描こうと思っているからここに筆が存在しているのであり、 またもや突然、海外でグループ展をしませんか?と誘われたというのは、私の野心を満たすための物事の現れなのだろうと解釈できる。
で、関心(=志向性)を持っているからこそ、ものごとが現れ、ものごとが現れて初めて自分の関心に気付くことができるという、切っても切れない関係、それが現実と呼んでいるものなのだ。
結局、あなた次第・・・みたいなことなのだね。

その事を考えていて、あっ!と思った。
私自身、物事が起こるたびに、いつも「自分は試されている」みたいな気がしていた。やれやれ、私にどうしろと言うのですか、どうすれば正解なのですか、みたいな気持ちだった。
でも、私の外側に私を試す 何か確固たる客観的世界があるわけではなく、世界が一瞬ごとの現われであるのなら、向こうから試されるために物事が起こるのではなく、むしろ私の方から、私自身の世界とは何なのかを 試すために 物事が起こるのだ ということがわかる。

世界は意味として現れる。。。
世界はそこに、はじめからあるのではなくて、
その都度、今ここに現れてくるものなのだ。

ふと自分の身の回りを見渡したくなる。
窓の外にはどんよりと曇った空があり、黒い鳥が一羽、ゆったりと
南のほうへ飛んでいった。
スケッチショウのWiperという曲が、繰り返しかかっている。
小学校の屋上から伸びた旗は、風に吹かれて休みなく、
ひらひらと翻っている。
そろそろコーヒーでも飲もうかな。。。
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by yucoon | 2006-06-08 23:41 | ひとりごと